公武堂社長にフラグが立ちそうな件
仕事帰りに閉店10分前のハンズに駆け込み、折り返しのエレベータに乗り込みました。
と、そこに滑り込んできたのは、ラフな上下を黒にまとめた中年男性。何気なく後ろ姿に目をやるとどこかで見たチョンマゲ!横顔伺うに至って長谷川社長と確信しました。
おそるおそる声を掛けて「おや」「まあ」。降りるのも同じ文具売場で「これまた」「奇遇で」。あまりの偶然にこれと云ってお話しすることも出来ないまま、扉が開くと同時に売場に散っていきました。
興行やアマ大会ならまだしも、普通にばったり町中でお会いするなんて、もうなにがしかフラグが立っているとしか(笑)。しかも、いちどお名刺を頂戴したことがある程度の面識にも関わらず、しっかりご記憶いただけてたようで、ミーハー冥利に尽き><
■その公武堂社長は《やる側》だった!
これは自分が最近知ったと云うだけかもしれませんが、以下、フリーペーパー『RAMPAGE』創刊号より全文引用。
長谷川匡紀(1964年7月生まれ)
少年時代を一週間のうち月・水・金を剣道、火・木・土を空手の稽古という異常な環境に育つ。1987年に上京し、シーザージムの門を叩き『シュートボクシング』を学ぶ。平成14年2月28日に㈱公武堂代表取締役に就任、現在に至る。夢は名古屋に格闘技の殿堂を創ること。
バリバリの《やる側》ですよね。格闘技や武道に理解が深いのも頷けます。イサミの磯さんも空手留学→柔術やってましたっけ。
公武堂新社屋も「格闘技の殿堂」への通過点に過ぎないんでしょうが、非ジムでリングが常設されてるなんて、オーエンジャイとか健介オフィスくらいじゃないかしら。